序論:米国の司法制度
序論:米国の司法制度
ジョージ・ワシントン(右側の立っている人物)が憲法制定会議で演説する場面を描いた、ジュニアス・ブルータス・シアーンズ(Junius Brutus Searns)の1856年の作品。憲法制定会議のメンバーがアメリカ合衆国憲法の草案を作成し、1787年9月17日にこれに署名した。 |
合衆国憲法により、連邦議会には法律を成立させる権限が付与されている。これは、2001年にジョージW.ブッシュ大統領の予算演説を聞くために集まった両院合同会議の場面である。(© Michael Geissinger/The Image Works) |
全米50州の州議会のひとつ、ニューヨーク州議会が法律を可決する際の点呼投票の様子。ここで成立した法律は、州民に適用されるが、州民以外の人々でも、州内に居住するか、州内で事業を行うものには適用される。(© David M. Jennings/The Image Works) |
連邦および州裁判所は、民事と刑事の2種類の訴訟について審理を行う。これはサウスダコタ州最高裁判所で弁論を行う、民事訴訟の当事者である地主の弁護士。(AP/WWP) |
民法には、結婚と離婚に関する制定法が含まれている。判事が執り行う民事婚で結婚する男女。(© Kent Meireis/The Image Works) |
全米の裁判所は、休日以外は毎日、何らかの判決を下しており、その集大成が何千人もの多くの人々に影響を及ぼしている。
関係者だけに影響する判決もあれば、影響が全国民に及ぶような、諸権利、恩恵、法律原則についての判断が下される場合もある。当然のことながら、判決は多くの国民から支持を受ける一方で、賛同しない国民も存在し、それが時に多数になることも避けられない。しかし、これらの判決の正統性と、最終的な法の解釈を行う機関としての裁判所の役割の正統性は、すべての国民が受け入れている。アメリカ国民が、法の支配や米国の法制度に対して抱いている信頼を、これほど明確に示すものは、ほかにない。
この序論では、米国の法制度、特に米国の裁判所の仕組みとその機能について説明する。裁判所は米国の法制度の中心的な位置を占めるが、裁判所だけがそのすべてではない。全米の連邦・州・地方裁判所は、日々法律を解釈し、法のもとに争いを裁定し、憲法によって全国民が保障されている基本的な保護に違反する場合は、その法律を無効にすることさえある。それと同時に、多数のアメリカ人は裁判所に助けを求めることなく、日常的な契約をしている。しかし、そんな彼らもまた、法制度を頼りにしているのである。若い夫婦が初めてマイホームを購入する、ビジネスマン同士が契約を結ぶ。あるいは、親が子どもに財産を残すために遺言書を作る―。このような場合、将来予測が可能であることと、強制力のある共通の規範 を定めておくことが必要になる。これを保障するのが、法の支配と米国の法制度なのである。
この序論は、読者に米国の法律の基本的な構成と用語になじんでもらうことを目的としている。これに続く各章では、さらに詳しい説明を加え、成長を続ける国家のニーズと、ますます複雑化する経済的・社会的現実に合わせて、米国の法制度がどのように進化してきたかを理解してもらうことにする。
連邦法制度:概観
アメリカの法制度は、おそらくほかの多くの国々よりも複雑な重層構造を持っている。その理由のひとつは、連邦法と州法の区分けである。この点を理解するためには、アメリカ合衆国がひとつの国家としてではなく、個々に英国からの独立を求めた13の植民地の連合として建国されたことを思い起こすとよい。したがってアメリカ独立宣言(1776年)は、「これらの植民地のよき人民」に言及すると同時に、「これら植民地連合は、それぞれ自由にして独立した国家であり,それは当然の権利である」と宣言している。一つの国民と複数の州の間で生じる緊張関係は、アメリカ法制史上の多年にわたるテーマである。後段で説明するように、アメリカ合衆国憲法(1787年採択、1788年批准)はゆっくりと、そして、時には激しく議論を進� ��ながら、州から連邦政府への権力、および法的権限の委譲を行ってきた。しかし、今日でもなお、州は強大な権限を維持している。アメリカの法制度を学ぶものは、米国の司法権が連邦政府と州の間でどのように配分されているかを理解しなければならない。
合衆国憲法は連邦法と州法の間に多くの境界を定めた。憲法はまた、連邦政府の権限を立法、行政、司法の3権に分けており、その各部門がそれぞれ独自の形で法制度に寄与している。また、これにより「三権分立」が生み出され、どれかひとつの部門がほかの2つの部門を制圧する権力をもつことを防ぐ「抑制と均衡」の制度が作られている。この制度の枠内で、憲法は連邦議会が制定することができる法律の種類を規定しているのである。
しかも、一層複雑なことになるが、米国法は、連邦議会が制定する法律がすべてではない。ある種の分野では、連邦議会は行政機関に対して、法的要件の細部を定める規則を制定する権限を付与している。法制度全体が、英国の慣習法「コモンロー」にみられる伝統的な法的原則に立脚している。米国憲法と制定法は、コモンローに優先するが、憲法に規定がなく、連邦議会が法律を制定していないものについては、その空白を補うために、裁判所は今でも、コモンローの不文律の原則を適用している。
連邦法の淵源
アメリカ合衆国憲法
連邦法の優位性
なぜ他の国とshoulaカナダ貿易
1781年から1788年まで13州の関係を律していたのは、「連合規約」と呼ばれる協定だった。この協定により国民議会が作られたが、その力は弱く、ほとんどの権限は州に残されていた。各州にはほかの州の裁判所が下した裁定に敬意を払う(「十分な信頼と信用」を与える)義務があったものの、連合規約は海事裁判を除けば、連邦の司法制度について何も定めなかった。
合衆国憲法の起草と批准は、連邦政府の権限を強化する必要があるという総意の高まりを反映している。それが実行された分野のひとつが、法制度だった。特に意義深いのが、憲法6条の「最高法規条項」である。
この憲法と、これに準拠して制定される合衆国の法律、および合衆国の権限をもって、すでに締結され、また将来締結されるすべての条約は、国の最高の法規である。これによって各州の裁判官は、各州憲法、または州法の中に相反するいかなる規定がある場合でも、これに拘束される。
この条項により、「合衆国憲法が言及している点には、いかなる州も逆らってはならない」という、米国法の第一の原則が樹立された。不明確なまま残されたのは、この禁止規定を連邦政府自身にどう適用するかという問題と、合衆国憲法が明確に規定していない分野で、各州の法制度がどのような役割を果たすかという点であった。憲法修正によって問題の一部は解決され、また、時間の経過とともにより多くの答えが出されることになった。にもかかわらず、今日でも米国国民は、連邦と州が責任を持つべき司法権の明確な境界線をどこに引くかで、苦闘を強いられているのである。
各政府部門も法制度上の役割を演じる
合衆国憲法の起草者たちは、連邦政府の権限強化を目指していたが、強化しすぎることも懸念していた。この新しい政治体制を抑制するひとつの方法は、政府機能をいくつかの部門に分割することだった。ジェームズ・マディソンが、「フェデラリスト(連邦主義者)51号」で「政府を複数の明確に異なる部門に分けることによって、権力の横領を防ぐことができる」と述べている通りである。マディソンが言う「部門」に当たる、立法府、行政府、司法府には、それぞれ法制度に対する一定の影響力が付与された。
立法府
合衆国憲法は、連邦議会に法律を制定する権限を付与している。議会が審議する提案を法案(bill)という。連邦議会の両院の過半数(大統領が拒否権を発動した場合には3分の2の多数)が法案の採択に賛成すると、法律として成立する。連邦法は、制定法(statute)と呼ばれる。合衆国法典(United States Code)は連邦制定法を「集大成」したものである。法典自体は法律ではなく、単に制定法を系統的に配列したものである。例えば、第20編には教育に関する様々な制定法が、また第22編には外交関係に関する制定法が、それぞれ納められている。
連邦議会の立法権は制限されている。より正確に言えば、立法権は合衆国憲法を介してアメリカ国民から委任されているものであり、連邦議会が法律を制定できる分野と、できない分野は、憲法によって定められている。合衆国憲法第1条第9節は、議会に対して特定の種類の法律を制定することを禁じている。例えば議会は、[遡及処罰法](過去に遡及して適用される法律、つまり「事実が発生した後に」制定される法律)の制定や、輸出品に対する課税ができない。逆に第1条第8節は、議会が法律を制定できる分野を列挙している。その中には「郵便局を設置すること」のように極めて具体的なものもあるが、そうでないものもある。「諸外国との通商、および各州間の通商を規制すること」などがその典型である。こうした具体性� ��欠ける委任事項を解釈する権限が、極めて重要なことは明らかである。アメリカ合衆国という若い共和国の歴史の初期には、司法府がこの役割を担っていた。そのため、司法府は米国の法制度において、特別かつ極めて重要な追加的役割を果たしてきたと言える。
司法府
ほかの部門と同様、司法府も、憲法で委任された権限しか持っていない。合衆国憲法は特定の紛争に限り連邦政府に司法権を与えており、第3条第2項でそれらを列挙している。このうち最も重要なものは、連邦法が関係する事件(「憲法、合衆国の法律、および条約の下で発生するすべてのコモンローおよび衡平法上の係争」)と、異なる2つの州に住む市民の間での訴訟である「州籍相違(diversity of citizenship)」事件の2つである。州籍相違裁判権により、各当事者は、相手当事者の州の裁判所で訴訟を起こすことを避けることができる。
合衆国の建国初期の頃に、司法の2つ目の権限が確立した。第2章で述べるように、連邦最高裁判所は「マーベリー対マディソン事件」(1803年)で、同裁判所に委任された権限には、法令が憲法に違反しているかどうかを判断し、違反している場合はその法律を無効とする権限も含まれている、と解釈した。憲法が国民に保障した権利を法律が侵している場合、あるいは、憲法第1条により連邦議会に法律の制定権が認められていない種類の法律を制定した場合、その法律は違憲となる可能性がある。
何contrysは、古代インドの軍隊はと戦うんでした
従って、連邦議会が法律を制定できる分野を規定した憲法の条項を解釈する権限は、非常に重要である。連邦議会は伝統的に、各州間の通商、つまり「州際通商」(interstate commerce)を規制するために必要であることを理由に、多くの法令を正当化してきた。この「州際通商」はどうにでも解釈できる概念であり、正確に規定するのが難しい。実際、ほぼどんな法令についても、その目的と州際通商の実際の規制との間にもっともらしい関係を考え付くはずである。時には、司法府がこの「通商条項」を狭く解釈することがあった。例えば、フランクリンD.ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として、ニューヨークの食肉処理場労働者の労働時間と賃金を規制する連邦法が制定されたが、1935年、最高裁判所はこの法律を無効とする裁定を下した。判決理由は、その食肉処理場で加工される鶏肉は、すべてニューヨークの肉屋や小売店に販売されるため、州際通商とは言えない、というものだった。し� �し、その後間もなく、最高裁は、ニューディール政策に対して、より広範な機能を認めるようになった。連邦裁判所は、今日も通商条項を広く解釈している。ただし、連邦議会が制定する法律をすべて正当化するほど広く解釈している訳ではない。
行政府
合衆国憲法第2条は、大統領に「行政権」を付与している。ジョージ・ワシントン政権(1789~1801年)では、行政府全体が大統領、副大統領、国務省、財務省、陸軍省、司法省で構成されていた。国家が成長するにつれて、行政府も一緒に拡大していった。今日では閣僚をトップにいただく省が15ある。それぞれの傘下に多数の局、庁などの組織がある。これらの省のほかにも行政府を構成する機関がある。どれもすべて大統領から委任された行政権を執行しており、従って最終的には大統領に対して責任を負っている。
いくつかの分野では、行政府とほかの2つの部門との関係が明確な場合もある。例えば誰かが単独、あるいは複数で銀行強盗を働いたと仮定しよう。連邦議会は銀行強盗を刑事罰の対象とする法令をすでに制定している(米国法典第18編第2113項*)。(注:厳密に言えば、この法律は連邦政府から認可された銀行、預金保険に加入している銀行、もしくは連邦準備制度の加盟行のみに適用される。恐らく、米国内の銀行はすべてこれらの条件を満たしていると思われるが、これに該当せず、しかも州際通商に影響を及ぼすと見なされない銀行は、連邦法の対象にはならない。連邦政府の法令は、通常、司法権の根拠を明示しており、この場合は、連邦政府の認可がそれに当たる。)司法省の一部局である連邦捜査局(FBI)が犯罪捜査に� �たっている。FBIが1人ないし複数の容疑者を逮捕すると、連邦検察官(やはり司法省の一部)が連邦地方裁判所の裁判で、容疑者の有罪を立証することになる。
銀行強盗は単純な事例である。だが、近代化に伴い国家規模が大きくなるにつれ、法制度の枠内での3部門の関係は進化して、工業化社会・脱工業化社会が抱えるさらに複雑な問題に対処できるようになった。最も大きな変化を遂げたのは行政府の役割である。銀行強盗の例では、それを刑事罰の対象とする法律の制定に当たって、連邦議会は特別な専門知識をほとんど必要としなかった。立法府が「危険な」薬物の市場取引を禁止したい、もしくは大気中の「有害」汚染物質の量を制限したいと考えた場合を想定してみよう。議会自身がこれらの用語を正確に定義しようと思えば不可能ではない。自ら定義する場合もあるが、実際には、議会が権限の一部を行政機関に委ねることが多くなっている。かくして食品医薬品局(FDA)は国 内の食品と医薬品の純度をチェックし、環境保護庁(EPA)は台地、水、空気に産業界が及ぼす影響を規制しているのである。
各省庁が持つ権限は、連邦議会が法令で定めたものに限られるが、それがかなり大きなものになることもある。その中には、一般的な法律の文言を厳密に定義する規則を定める権限も含まれる。例えば法律が「危険な」量の大気汚染物質を禁止した場合、その危険とみなされる汚染物質の内容と量は、EPAの規則が決める。時には法令違反粗相指し、違反を認定し、罰則まで科す権限が、法律によって政府機関に与えられることもある。
裁判所は政府機関に過大な権限を与える法律を無効とすることができる。行政手続法(米国法典第5編第551項以下参照)と呼ばれる重要な法律は、政府機関が規則を公布し、違反を裁定し、罰金を科す際に従わなくてならない手続きを説明している。また、政府機関の決定について、当事者が司法の判断を求める方法も明示している。
その他の法的淵源
米国法の拠りどころとして最も明白なものは、連邦議会が成立させた制定法である。それを行政規則が補っている。これらの法令や行政規則は、時には合法行為と違法行為の境界線を明白にすることができる。先に挙げた銀行強盗が好例である。しかし、だからといって、あらゆる状況にも対応できる法律を制定することは、どんな政府にもできない。幸いなことに、以下で述べるような、別の法的な諸原則と規範大系がこの不備を補っている。
コモンロー(慣習法)
法律や憲法による規定が存在しない場合は、連邦裁判所も州裁判所も、しばしばコモンローに目を向ける。コモンローは、司法の決定、慣習、一般原則の集大成で、何世紀も前のイギリスを起源とし、今日も進化を続けている。多くの州では、コモンローが契約に関する紛争で重要な役割を果たし続けている。これは、契約上起こりうるすべての状況を網羅した法律を、州議会が制定するのは無理だとみなされているためである。
判例
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裁判所は、法律違反の容疑や、法のもとで起きた係争について裁定を下す。そのために、裁判所は、しばしば法律を解釈することを求められることになる。解釈する際に、裁判所は、同じないし上位の裁判所がこれまでに行った法の解釈に、自らも拘束されると考える。これは「先例拘束性の原理(stare decisis)」もしくは単に「判例」として知られている。これは、裁定に一貫性と、予見性を持たせる助けとなる。訴訟当事者は、自分にとって不利な判例、すなわち判例法がある場合、自分の訴訟の事実関係が、先例を生み出した訴訟とどこが違うのかを証明しようとする。
裁判所によって、法律の解釈が異なる場合もある。例えば、合衆国憲法修正第5条には、「何人も、刑事事件において自己に不利な証人となることを強制されることはない」という条項が含まれている。このため自分の証言が、米国以外の国で刑事訴追を受ける原因になりかねないことを理由に、裁判所からの召喚状に応じなかったり、法廷での証言を拒否したりする事例がしばしばあった。このような場合も、修正第5条の「自己負罪(self-incrimination)条項」は適用されるのだろうか。米国第2巡回控訴裁判所は、適用されると裁定した。だが、第4および第11巡回裁判所は適用されない、と判断した。(注:第2巡回裁判所は、ニューヨーク、コネチカット、バーモントの3州の連邦地方裁判所所轄の控訴事件を審理する上訴裁判� ��である。第4巡回裁判所はメリーランド、ノースカロライナ、サウスカロライナ、バージニア、ウェストバージニアの5州を、第11巡回裁判所はアラバマ、ジョージア、フロリダの3州を管轄している。)これは、同じ米国内でも、訴訟が発生した地域により、事実上法律が異なることを意味するのである!
このような矛盾に関しては、上位裁判所が解決を試みる。例えば、連邦最高裁は、自らの決定によって巡回裁判所間の見解の相違を解決できる場合には、しばしば事件の審理を行うことを選択する。最高裁の判例は、すべての下位の連邦裁判所に制約を与えるか、ないしは適用される。「アメリカ合衆国対バルシス事件524 U.S. 666」(1998)で、最高裁は、外国での訴追の恐れは、自己負罪条項に含まれないという判決を下した。(注:上述の引用数字は、バルシス判決の出典を表したもの。最高裁が1998年に判決を下したこと、その内容は合衆国判例集の第524巻、666ページ以降に掲載されていることを示す。)この判決は、第2巡回裁判所を含む全米のあらゆる地域に適用される法律となった。その後、同じ問題を審理した連邦裁判所は、いずれも「バルシス事件」での最高裁判決に従って裁定を下した。巡回裁判所の判決も同様に、その巡回区にある地方裁判所をすべて拘束する。「先例拘束性の原理」は、さまざまな州の裁判制度にも適用される。このように、判例数の量と、説明領域も増大している。
さまざまな法律・さまざまな救済手段
このような法体系の増大がある以上、さまざまな法律の種類、法廷に提起される訴訟を識別し、それぞれの訴訟の種類ごとに法律が認めるさまざまな救済手段を知ることは有益である。
民事・刑事
裁判所は、民事と刑事の、2種類の紛争について審理する。民事訴訟は、2人以上の私人の当事者が関与し、少なくともそのうち1人の当事者が、制定法ないしはコモンローの特定の規定に違反があったと申し立てることから始まる。訴訟を起こした当事者は「原告」であり、その相手方は「被告」と呼ばれる。被告は原告に対して「反訴」を起こしたり、共同被告に対して「交差請求」したりすることもできる。ただし、これらの反訴や交差請求は、原告の当初の申し立てと関連性を持っていなければならない。裁判所は、1つの紛争から生じるすべての請求を、1つの訴訟で審理することを好む。契約違反に関する企業同士の訴訟や、他者の過失や意図的な違法行為によって損害を受けたと主張する、いわゆる不法行為に関する訴 訟は、民事事件である。
民事訴訟は、そのほとんどが私人の当事者の間で争われるが、刑事訴訟では、常に連邦政府や州政府が一方の当事者である。政府は、公共の福祉を害する行為を禁じたとして告発された被告を、国民に代わって訴追する。2つの企業が契約違反で民事訴訟を争うことは可能だが、誰かを殺人罪で告発できるのは、政府だけである。
立証の水準と、処罰の上限も、また異なる。刑事被告人が有罪の判決を受けるのは、「合理的な疑いの余地がなく(beyond a reasonable doubt)」有罪である、という決定が下された場合のみである。民事訴訟では、原告は「証拠の優越(preponderance of evidence)」を示しさえすればいい。「証拠の優越」とは、本質的には「どちらかと言えば可能性があること」を意味しており、刑事事件に比べて立証の度合いが弱い。有罪の判決を受けた犯罪者は投獄される可能性があるが、民事訴訟で敗訴した当事者は、以下で説明するように、法律ないしは衡平法による救済についてのみ義務を負う。
法律および衡平法による救済手段
米国の法制度は幅広い救済手段を認めているが、まったく制限がないわけではない。刑事法規は、特定の犯罪に対して裁判所が科すことのできる罰金や刑期を例示しているのが特徴である。同時に刑法は、一部の裁判所が、犯罪常習者に対して、通常より厳しい刑罰を科すことも認めている。最も重大な犯罪、つまり「重罪(felony)」に対する刑罰は「軽罪(misdemeanor)」よりも重い。
民事訴訟の場合は、米国の裁判所のほとんどは、法的救済手段と衡平法上の救済手段のいずれかを選ぶ権限を認めている。この2つの救済手段の違いは、以前ほど鮮明ではないが、理解しておく価値がある。13世紀イングランドの「法廷(court of law)」には、金銭的な救済を命じる権限しか認められていなかった。被告の契約違反により、原告が50ポンドの損害を受けた場合、「法廷」はその金額を原告に支払うよう、被告に命じることができた。こうした損害には、この程度の賠償で十分だというケースが多かったが、貴重な美術品や特別の土地区画の販売契約などのように、十分でないケースもあった。そこで、13世紀から14世紀にかけて「衡平法裁判所(court of equity)」ができた。この裁判所は、衡平法上の救済を図るもので、当事者にその債務を履行させる形を取り、単に不履行によって生じた損害に対する賠償金を当事者に支払わせるというものではなかった。19世紀までに、たいていの米国の裁判所は普通法と衡平法の区別を撤廃した。今日では、数少ない例外はあるものの、米国の裁判所は、状況に応じて普通法上の救済手段も、衡平法上の救済手段も、いずれも命じることができる。
民法と刑法の違い、およびそれぞれの法律が命じることができる救済手段の違いを明確に示す有名な事例がある。カリフォルニア州は、アメリカンフットボールの元スター選手O.J.シンプソンを殺人容疑で告発した。シンプソンの有罪が確定していたら、彼は刑務所に収監されたであろう。しかし、検察側は合理的な疑いの余地がない程度にシンプソンの有罪を立証することができなかった、という結論を陪審員が出したことから、彼は無罪になった。その後、シンプソン夫人(殺された被害者)の家族は、不法行為で死亡に至った責任があるとして、民事事件としてシンプソンを提訴した。この裁判の陪審員は、証拠の優越により、シンプソンが妻の死に責任があることが証明された、との結論を下し、法的救済手段として、原 告に損害賠償金を支払うよう命じた。
連邦法制度における州法の役割
合衆国憲法は、各州が特定の種類の法律を制定すること(外国と条約を締結すること、硬貨を鋳造すること)を、特別厳しく禁じている。また、憲法第6条「連邦法の優越条項」で、憲法もしくは連邦法に反する州法の制定を禁じている。それにもかかわらず、法制度の大部分は州の支配下にとどまった。合衆国憲法は、連邦議会が法律を制定できる分野を注意深く特定している。憲法修正第10条(1791年)では、「本憲法によって合衆国に委任されておらず、また州に対して禁止されていない権限は、それぞれの州または人民に留保される」と規定して、ほかの分野では州法が適用されることを明確にしたのである。
しかしながら、奴隷制度と、究極的には州が連邦から脱退する権利をめぐって、連邦政府と州の間では深刻な対立が残っていた。南北戦争(1861-1865)の結果、この2つの問題はいずれも解決した。南北戦争はまた、法制度内における州の役割に関して新たな制限を生み出すことになった。すなわち修正第4条(1868年)が、「いかなる州も、法の適正な過程(due process of law=正当な法の手続き、という和訳もある)なしに、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない」と規定したのである。この修正条項により、州法を無効にする連邦裁判所の権限が、著しく拡大された。「ブラウン対教育委員会事件」(1954年)は、アーカンソー州の学校制度での人種隔離を禁じる判決を出したが、その根拠となったのはこの「平等保護条項」だった。
20世紀半ば以降、以上で述べた多くの動きが相まって、法制度における連邦政府の役割が高まった。具体的に言うと、州の行政組織の充実、法の適正な過程および平等保護に関する司法解釈の強制力とその領域の拡大、そして商取引に関する連邦議会の規制権限の同様の拡大、などである。それにもかかわらず、法制度の多くは、今も変わらず州の支配下にある。合衆国憲法が保障したあらゆる権利を市民に認めない州はないが、多くの人々は、州の憲法の方がより寛大な権利と特権を市民に付与していると考えている。契約上の紛争のほとんどは、州裁判所が州法を適用し、裁定を下すという方法を続けている。ほとんどの刑事訴訟や不法行為の民事訴訟についても、同じことが言える。結婚や離婚のような問題を扱う家族法は、州� ��専管事項である。たいていの場合、ほとんどの米国人にとって法制度とは、警官と、自分が居住する州内のさまざまな自治体や行政区の裁判所を意味する。
この序論では、アメリカの法制度を概括したにすぎない。このあとの各章でより詳しく説明し、特色を挙げて理解を深めることを目的としている。第1章と2章では、連邦裁判所と州裁判所のそれぞれについて、制度上、どのようにして形成されてきたかを述べる。第3章では、裁判権という込み入った問題について詳しく論じる。この章では必然的に、連邦裁判所と州裁判所の境界線について詳述することになるが、同時に誰が訴訟を起こすことができるのか、また各裁判所はどのような訴訟を審理するのかという問題も掘り下げる。第4章では、裁判所そのものから、裁判所に出廷する人々へと視野を広げていく。米国で法がどのように実施されているかを考究し、典型的な訴訟当事者について述べる。この章では、社会的・政治 的主張を通すために、特定の訴訟を起こす利益団体の役割についても説明する。第5章では、裁判所が刑事事件をどのように審理するかを詳述し、第6章では民事訴訟に焦点を絞る。第7章では、連邦判事の選出方法について論じる。最終章では、特定の判決、特に高等裁判所の判決が、いかにして政策決定のひとつの形となりうるのか、ひいてはそれが、いかにして司法府と立法府および行政府との間に複雑な関係をもたらすか、を見ていくことになる。
マイケル・ジェイ・フリードマン*著す
*マイケル・ジェイ・フリードマンは、米国務省国際情報プログラム局のプログラム担当官。ペンシルベニア大学のアメリカ史博士号と、ジョージタウン大学法学センターの法学博士号を取得している。
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