CASE1 住友電気工業株式会社様|オフィス移転プロジェクト事例|賃貸オフィス 貸事務所のオフィスジャパン-ネット
2009年6月、住友電気工業が36年ぶりに東京本社の移転を実施した。移転先のビルが決定してから約1年、正式なプロジェクトの発足からは、わずか9ヵ月の離れ業だ。
1営業所レベルならまだしも、約600人の社員が働く本社機能の移転としては、異例のスピードと言える。この短期集中移転プロジェクトが成功した、その足跡を追ってみる。
降って湧いたような本社移転計画 社外の専門家を交えプロジェクトチームを結成
突然の移転話が持ち上がったのは08年3月。当時1棟借りしていた東京本社ビル(赤坂センタービル)の建て替えが急きょ決定したことにより、移転プロジェクトが始まった。移転先の決定に際しては、災害に強いビルで、BCP(Business Continuity Plan =事業継続計画)に適合することが条件だった。もう一つの条件はコストミニマムでの実施。当時、サブプライム問題の表面化で景気の先行きが懸念されており、移転先のイニシャルコストやランニングコストはもちろん、引越に際してのコストも最小限に抑えることが要求されていた。
4月から具体的に物件を探し始め、6月半ばに、当時建設中だった現在の芝浦ルネサイトタワーに内定、7月末には取締役会で正式決定(予備契約締結は9月)した。この時点で、ビルの竣工予定である09年3月末を踏まえ、内部工事の期間を含めてゴールを同年6月に設定した。08年8月から社内の人事総務部門、建築設備部門、情報システム部門、資材部門による内部検討を始めたが、極めて短期間のプロジェクトだけに外部の専門的ノウハウの導入が不可欠と判断。コンペの結果、CBREを中心とする専門スタッフが参加する「移転プロジェクトマネジメントチーム(以下PMチーム)」が10月に結成され、翌年6月の引越に向けて、急ピッチで作業が進められることになる。
責任と権限、承認プロセスを明確化 走りながらの意思決定の連続
PMチームが発足してからゴールまで9ヵ月しかない。しかも、移転計画の詳細プランさえ明確に決まっているわけではない。にもかかわらず、例えば非常用発電機の屋上設置をどうするか、社員食堂はどうするかといった建築本体に影響の大きい案件は2ヵ月内に決めなくてはビル建設自体に支障が出るなど、短期間に決定すべき事項は山積みの状態だ。
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社員食堂については、移転先が芝浦に内定した時点で周辺店舗の昼食価格情報を集め、食堂を設置しない場合の社員への影響度をリサーチした上で、7月末の機関決定時点で設置する方針を固め、ビルオーナーにも内諾を取っていた。だが、実際に社員食堂の基本プランを決めるとなると、複数の具体案(厨房設備を設けるのか、それともケータリングにするか、厨房設備の仕様や規模をどうするのか等)と、そのメリット・デメリットを検証できる定量的データや概算見積額が必要となる。
まず、同チームが最初に着手したのは、それぞれの役割分担と責任・権限の明確化、そして承認プロセスの決定だった。「事前の検討を積み重ねてスタートしたわけではないので、すべてが手探りの状態。チームの体制がそれらしくなるまでに1ヵ月はかかったでしょう。とにかく走りながら決めていったという印象です」プロジェクトの実施責任者の一人である人事総務部次長 得田和徳氏の言葉が、当時の様子を如実に表している。
ヒアリングを重ねてニーズを絞り 定量的データの裏付けで認証を得る
本来なら基本プランを決定するには、現実的に可能性のある主要な提案に関する比較データを作成し、十分に根回しをしながら社内稟議を進めるところだろう。だが、このプロジェクトは初めから時間がなかった。そのため、PMチームでは、担当役員をはじめ経営トップに対してこまめにブリーフィングを行い、その時の反応を手がかりにある程度方向性を絞った上で具体的な定量データを加えた2-3案を作成し、判断を仰ぐという手法をとった。
役員フロアや総合受付のレイアウト・デザインといったデリケートな課題もこうしたプロセスにより決定した。当初は役員フロアを最上階に、社員食堂はその下に計画していたが、食堂のダクトが長くなると工事費用がかさむことが判明。直ちに比較見積を作成し、社員食堂を最上階に変更することについて迅速にトップの了解を取ることができた。
「トップの意向を事前にある程度掌握できていたからこそ、2-3案程度で済んだのでしょう。ただ当社は大阪の会社ですから、社長はじめ人事総務部門の担当役員もすべて大阪本社に常駐しています。そのため、ある時は役員フロアのパースを持って大阪本社まで出張したこともあります」実務面の責任者である東京総務秘書グループ長の吉田竜郎氏はこう振り返る。
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リーマン・ショックの直撃 2億円の予算削減を目指す
こうして年内に、ビル本体工事に係る基本的な仕様やレイアウトが決定した。だが、ここで問題が持ち上がる。基本仕様を固めながらPMチームが3ヵ月かけて積み上げた予算と当初考えていた大枠予算との間に大幅な開きが出たのだ。当初の想定や算出根拠とした基データが不十分だったことによるものだが、時はまさにリーマン・ショックの真っ只中。会社の経営環境も急激に悪化していただけに今さらそんなことは理由にならない。そこで12月の経営会議において基本仕様の承認を得るために、PMチーム自ら2億円の削減目標をコミットしたのだ。
とはいえ、これまでもコストミニマムを条件としてきただけに、この目標達成は容易なことではない。そこで、PMチームでは主要なテーマについてワーキンググループ(WG)を作り、細かなディテールを精査していった。
具体例を挙げよう。厨房機器メーカーや食堂運営業者も参加した食堂WGでは、防水工事が必要なスペースを最小限に抑えるために、厨房内の水周り関係設備をフロア南端に位置するビル排水管の近くに配置するレイアウトに変更、それに伴い、下膳方式も見直し、よりコンパクトな洗浄設備に仕様変更した。食堂の床面をタイル張りではなく、備え付けのオフィスカーペットのままにするのも食堂WGの発案であり、オーナーサイドの交渉に加え、消防署や保健所などとの折衝も担当した。こうした検討を食堂WGで積み重ね、全体定例会の場で決定していった。
オフィスフロアについては、既存の机・椅子を移設して継続使用しながらも、ビルの特長である広いオープンエリアを活かし、動線が分かりやすく機能的で、人事異動や組織変更に伴うランニングコストを最小限に抑えることができるユニバーサル・レイアウトを当初から採用していた。オフィスWGでは、さらなるコスト削減策として、会議室などの間仕切位置をビル標準の天井グリッドシステムに合わせ、照明やスプリンクラーの配置換え工事を削減する対策を徹底し、はては天井裏の空調ダクトの位置や数までも議論した。
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一方、年末に基本仕様が決定したことにより、09年1月からB工事の見積査定と価格交渉もスタートした。ここでも時間が限られているため、ゼネコン側との毎週の「建築定例会議」の場に、社内の人事総務、建築設備、情報システム、資材各部門のスタッフも参加し、コスト削減に向けて仕様変更や見積査定について突っ込んだ議論を積み重ねた。
例えば、当初は倉庫の可動書架も移設する計画だったが、移設に必要な床面補強工事を含めると固定式書架を購入した方が安上がりとのVE提案がゼネコン側からあり、多少の収容能力は犠牲にしても固定式書架に切り替えた。
建築定例会議では、時には立場の違いから見解が分かれることもあったが、互いに熱い議論を戦わせたからこそ、次第にベクトルが一致して様々な検討が迅速に進むようになった。こうした議論は1-3月まで、集中的に行われていった。
コスト削減と品質確保のせめぎあい 決め手となったのは社内の風土
だが、これだけ徹底したコスト削減を検討する上で、基本構想の見直しといった作業に踏み込む必要に迫られたことはなかったのだろうか。
その好例はやはり社員食堂だろう。普通に考えれば一番初めに再検討すべきだし、現に社内でも「食堂を作るのは止めるべき」という意見がなかったわけではない。
だが、PMチームでは社員食堂の廃止論について一切検討していない。その要因の一つは社内のコミュニケーションを重視する企業風土にある。同社では、原則としてすべての拠点に社員食堂を設けている。さらに、本社や製作所では自由に酒を飲みながらコミュニケーションを深める「社員クラブ」的な施設も付属して設置されている。常々社長自ら「飲みニケーション」の重要性を社員に説いており、マスコミにも公言しているほどだ。
だからこそ、当初の構想段階から社員食堂と社員クラブは「是が非でも作る」という明確な方針が示され、しかも、リーマン・ショック以降も一度もぶれることはなかった。PMチームが社員食堂の設置再検討といった"手戻り"に悩まされることなくコスト削減に集中した議論ができたのも当然であ ろう。「当社には、何か問題があれば労使で徹底した議論を行い、その上で決めた約束はお互いに絶対に守るという永年にわたって培われた伝統があります」(得田氏)。今回の移転プロジェクトでも、こうした企業文化が大きな役割を担ったであろうことは想像に難くない。
プロジェクト関係者全員の熱意と緊密なコミュニケーションが成功の鍵
引越についても、徹底したコスト削減が図られた。600人規模の移転で、机・椅子、PC・電話、キャビネットなどすべての什器類を移設するだけに、引越は数週間かけて段階的に行うというのが普通の考えであろう。しかし、今回は2億円の削減目標を達成する詰めの策として、電話交換機などの通信・ネットワークインフラもすべて移設することにした。となれば、一挙に引越する以外他に選択肢はない。運送会社がシミュレーションした結果、倉庫や大型キャビネットの書類等を先に搬送すれば、何とか4日間でネットワーク環境の復活も含めて全員の引越が可能であり、コスト的にも最も有利なことが判明した。
問題は実施面である。東京本社は営業の本拠地だけに、お客さまへのご迷惑は最小限に止めたい。そこで、月曜日の営業開始を念頭に木-日曜日の4日間で引越を行う当初計画を、土-火曜日の引越(水曜日営業開始)に変更。少しでも通信・ネットワーク環境を前倒しで復旧できれば、それだけ早く通常業務に戻れるからだ。
さらに、月-火曜日の平日対策として、移転先の新しい大会議室にLAN回線とFAX機を設置し、臨時のオフィス機能を整備、延べ50名ほどの社員が利用した。また、元の固定電話への着信は社員の携帯電話に転送することで対応した。結果として1日早く火曜日の朝には通信・ネットワーク全般が復旧し、営業への支障は最小限に抑えることができた。
引越の成否は運送会社の現場力に負うところが大きいのは勿論だが、社員一人ひとりの協力も不可欠である。このように引越がスムースに進行したのは、事前の社員説明会やイントラネットで必要な情報をタイムリーに伝えたこともあるが、もう一つは、PMチームが短期間の移転プロジェクトを成功させるために何ヵ月も奮闘している姿を多くの社員が知っていたからだ。
「特に、総務グループのオフィス担当者の働きが大きい。PMチームのメンバーでもある彼らが、日頃から社員の生の声を聞き、質問に対しても的確な情報を提供し、不平・不満の芽を事前に摘んでくれた。その草の根コミュニケーションのおかげです」(吉田氏)。
こうして、09年6月17日、短期集中型の移転プロジェクトは無事、完了した。コストミニマムという至上命題、極めてタイトなスケジュールといった様々な制約条件を抱えながらも、PMチームの活動をベースに、ビルオーナー、ゼネコン、C工事会社、運送会社、食堂運営会社など、プロジェクト関係者がそれぞれの立場で全力を尽くし全員の熱意が一つになったことが、異例ともいうべき短期集中型の移転プロジェクトを成功に導いたことは間違いないだろう。
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